【悠游字的】本を抱いて眠っていたあの頃

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悠游字的
かつてのハードカバーの本の装丁は色々な種類があったなーと懐古する @georgek5555 です。



さて、今日は幼き頃の僕の話。

とにかく本が好きだった

僕の小学校の頃というのは、まだインターネットも無くて、目に見て遊ぶものといえば、本とテレビくらいだった気がする。



あの頃は小学校の中にあった図書室に行くのが好きで漫画や図鑑、そして小説からハウトゥー本まで、とにかく本というものに触れるのが大好きだった。



なぜあの頃本を読むのが好きだったかというと、それは今の子どもたちには少し分からない感覚かもしれないけど一方的に情報を発信してくるテレビとは違って、自分でセレクトした情報を手にすることが出来たから。



例えば今でも覚えているのは、手品のやり方の本やスパイになる方法の本などはとても非常にセンセーショナルだった。

また、漫画では『三国志』や『はだしのゲン』あたりは、自分が知らない時代の世界が描かれていて、それはそれは読んでる瞬間にまるでその時代に身を置いたような感覚になって楽しかった。



まるでその空間にいるようなといえば、小説もそうだった。

挿絵は時折あるものの、基本的には見たことがない世界が文字だけで表現されたそれを、自分の脳内で描いていくことの楽しさはとてつもない楽しさが用意されていた。

特に好きだったのは、映画『ネバーエンディングストーリー』の原作にもなった『はてしない物語』と、宮沢賢治の『注文の多い料理店』、そしてコナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズと、アガサ・クリスティのポアロシリーズだった記憶がある。



最初の2つはどちらかというと、空想世界の話。現実には存在しない世界をどう浮遊して自分がどうその世界に入っていくかを考えていく瞬間がとてつもなく楽しかった。

『はてしない物語』は特に読んでいるもの自身が主人公と自分を照らしあわせて読んでいける話しで、何よりも楽しかった。

後者の2つの探偵モノは説明不要でしょう。自分で謎解きをしていくことが、何よりも楽しかったし、探偵小説の面白さはその謎解き以外にもあって、様々な豆知識やうんちくが語られていくことは当時の僕にとっては非常に新鮮で、スポンジが次から次に水を吸っていくかのように知識を欲しがっていた僕の脳に染み渡っていった。



あの頃は本でしか自分の知識欲求を満たしてくれるものがなかったのもあって、自分が一見興味が無いものにも手を出していきながら新しい知識の波を体験することが果てしなく楽しかった。



今はインターネットが僕のその欲求を満たしてくれているのだろう。

以前ほどというか、純粋に本を読まなくなってしまった。

たまに読書欲にかられたり、手にした本に没頭することもあるのですが、以前ほどそういった時間がなくなってしまった。



ただ、そこには少し違いがあって、脳の欲求は満たしてくれるのですが、本には不思議な『カラダの欲求』を満たしてくれるものがある。



『カラダの欲求』というと少しエロティックに思われてしまうかもしれませんが、ただ側にあるだけで安心感を得られる何かがあります。

例えばネットで気になった記事や残しておこうと思う情報なんかは、EvernoteやPocketなどを駆使すればもちろん可能ではあるのですが、まるで釣ってきた魚のような、今食べないと鮮度が落ちて美味しくないという不思議な感覚があります。

逆に書籍になったものはワインのように、寝かしておいて飲むことでまた違った味わいが出るような、ウィスキーのように少しずつちびちび飲むようなそんな感覚。

もちろん全てがそうではないですが、ネットに出ている文章は書籍になったものよりもやや熟考が足りないものが多い気がする。

それは僕の文章が特にそうだからというわけではないのですが、書籍になるものというのは、当然鮮度を求められるものもあるとはいえ、それなりの時間をかけてじっくりと売れていくものが多く、当然熟成させた味わいがないと食べることが出来ないものになっている。



最近、そう考えると熟成を味わうよりも、ファストフードばかりを食べてしまっているために、やや無駄な贅肉で体が重たくなっている気がする。

もちろんどちらにも魅力があるのですが、もう少し熟成を楽しめるオトナな食事をすることをしたほうがいいなと改めて思いました。



本当にカラダが求めているのは、一瞬の欲求ではなく、心の芯から解放されるようなオトナな情事なんだなと。

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