どうも @georgek5555 です。
ここ数日また例の氷水かぶるぜチェーンポストが騒がしくなってきたので、先日投稿した内容を再度共有したところちょっと心外なコメントがあったので、若干書かせて頂きたいと思います。
ドヤ顔ストッパーとはやや心外である
ここ数日ネット界隈の著名な方を中心に、アメリカでブームになってきている氷水をかぶるぞポストを賞賛する声が上がってきていたので、以前書いたこちらの記事を加筆修正して再度共有しました。
【悠游字的】氷水を頭からかぶるというチェンメにそろそろ言いたい ※加筆修正あり – KLOG-クロッグ- まだ読んでないの?
もちろん自分程度の影響力ではそこまで効果がないとは思いながら、何かの気付きになればと思い書かせて頂いたのですが、一番最初に共有した時はむしろ「そういえばそうだね」ぐらいの意見が多かったのですが、今回アメリカの著名な方が参加してきたことで、自分の投稿に対して「お前がいっていることが冷水をかけているんだよ!」と反対意見の方が目立つようになってきました。
もちろん、上記の記事に書いた通り、盛り上がっているものに水を差すなよという意見はある程度想像はしていたのですが、今回著名な方がやっているといこともあってか、賞賛をした人たちにとっては多少おもしろくない内容だったのかもしれません。
特に心外だったのが「ドヤ顔ストッパー」だとコメントされたこと。
もしかしたら、そう書いている方は筆者のことを指していっているわけではないかもしれませんが、そちらのかたが言っているように、より建設的な意見は出ないのか?というのは、上記を読んで頂けるとわかるように私なりにはちゃんと微妙だと揶揄されるかもしれませんが、提案はしています。
また、別に反論を投げかけることで注目など集めたいなど全く思っていない。特にこれが心外だった。
正直この種の水を差す発言をすることは、面白くない奴認定されるに至るから、正直言えばあまり露骨にしたくないところです。
その方が言っているように、本人の責任でやっているのだからいいじゃないかというのも非常に解る。
しかし、この問題は、「あなたもどうですか?」ではなく『指名制』になっているところにあるというのを再度言いたい。
今、その人達が見ているのは著名な方達だから、何も思わないかもしれないが、この問題はいじめの温床になりかねないということを危惧しているのもあります。
確かに、何か目立つことや新しいことをやることに対して余計なストッパーになるような反論は、未来を作っていく過程で建設的ではないかもしれない。
しかし、今回の一件がそれと一緒だと片付けるにはあまりに稚拙ではないでしょうか?
危険性を承知で果敢に挑むことと、命の危険を伴ったチェーンゲームをどうして一緒だと言えるのだろうか?
それを未来を生み出す新しい技術や意見、考えを押さえつける老害問題と一緒というのはあまりに詭弁ではないか?
私は別にドヤ顔ストッパーになりたいわけでもなければ、ドヤ顔をしたつもりもない。
むしろ、目立つことや新しいことはどんどんやっていって欲しいとすら思っている。
しかし、新しいことであれば、目立つことであれば、何でもいいというのは違わないか?
事実人の迷惑を顧みない人が出てきた
再度盛り上がりを見せたことで、事実非常に迷惑極まりないことをする人も出てきた。
その彼は渋谷のスクランブル交差点のどまんなかで、あのひとが大量に行き交うどまんなかで、突如氷水を自分に勢い良くぶっかけていた。
目立つことで誰かに迷惑をかけてしまうことはあるだろう。しかし、これは少し違わないだろうか?
彼はボランティアという名目を語ってただ目立ちたかったのでは?と思うほどに他の人のことを考えていないと言いたい。
いや、そういうこともあるだろう。人間だ。若さもある。
しかし、ALSの患者がそこを通っていても同じことが言えるのだろうか?他の病気や障害を持っている人はなんでもいいのか?
この問題で言いたいのは、目立つこと、知ってもらうこと、チャレンジすることはいいと思う。
しかし、命の危険性を伴う行為を、単なるブームで指名ゲームにするのは少し違うのではないかということだ。
自分が賞賛したことに対して反論が出ると、有識者の方は特に反論に対してさらなる揚げ足取りをする。
ドヤ顔ストッパーとはむしろこのことではないかと言いたい。
人の反論に対してドヤ顔ストッパーなどという、揶揄を投げつけるほど酷いドヤ顔ストッパーは無いのではないか?
やや心外だったゆえ、多少冷静でなく稚拙で見苦しい文章であることをお許しください。